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■日本一賞/手塚賞/同窓会功労賞
   
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〒165-0031
東京都中野区上鷺宮2-14-1
武蔵丘同窓会
TEL & FAX:03-3926-6834
musako@jade.dti.ne.jp

日本一賞について

 我が校には、「日本一賞」というユニークな賞があります。皆さんご存じですか?
初代校長 手塚昇は、「府立二十一中だから21番目と考えるな。よろしく日本一たるべし」と生徒に訓示され、日本一に値する業績をあげたものに日本一賞を授与すると激励されました。この賞は在校生、卒業生、教職員のすべてに適用される本校独自の賞です。
第1回は、昭和21年第1回国民体育大会軟式野球部中等部において本校野球部が京都の平安中学を破って全国優勝を成し遂げたときに授与されました。今回は第8回目にあたり、次の方々(敬称略)に贈られました。

第8回日本一賞受賞者の方々

岡内 功 武蔵中学校 1回生
超長大橋における耐風設計の日本の第一人者である。1966年土木学会田中賞を、また1993年「長大橋の耐風設計の展開に関する貢献」で日本風工学会賞を受賞した。
中央大学名誉教授
川崎 普照
武蔵丘高等学校 2回生
1960年日本彫刻会初入選以来彫刻家として活躍されている。1964年「海の詩」で文部大臣賞、1993年「未来への賛歌」で内閣総理大臣賞、1998年「大地」で日本芸術院賞を受賞した。日展審査委員を務めた後、1986年より日展評議委員。
大野 幸太郎
武蔵丘高等学校 4回生
大学在学中より殺陣師を目指し、1966年「大野剣友会」を創設した。「若者捕物帳」「遠山の金さん」など時代劇だけでなく、現代劇、児童番組「仮面ライダー」等でも活躍した。殺陣師の第一人者。
渋谷 成美
武蔵丘高等学校 4回生
農薬の開発研究に携わる間情報収集し、世界一の農薬情報データベース「渋谷インデックス」を作った。その功績で、1992年日本農薬学会賞業績賞、1996年日本科学技術情報センター賞を受賞した。
土屋 邦雄
武蔵丘高等学校 4回生
1959年、ヘルベルト・フォン・カラヤン率いる名門オーケストラ、ベルリンフィルのヴィオラ奏者となり、日本人演奏家の海外進出への口火を切った。それから四十年、数多くの名演奏家達と共演した、ヴィオラ奏者の第一人者。
太原 正蔵
武蔵丘高等学校 7回生
昭和56年、57年の国民体育大会に、硬式デチスの東京都代表として出場し優勝した。国体の硬式テニスは全日本テニス協会公認の大会でもあり、東京都の代表は評価が高い。連続優勝したことも含めて、当時の第一人者である。
小板橋 史彦
武蔵丘高等学校 9回生
体育教諭として高校生・母校後輩を指導しながら精進し、昭和40年、41年の国民体育大会教員の部テニス大会で優勝した。連続優勝でもあり、教員の中では第一人者である。都立日比谷高等学校教頭を経て、立川高等学校勤務。著書「軟式テニスの基本」
長谷川 毅
武蔵丘高等学校 11回生
日露関係を北方領土問題に焦点を合わせて解明した。「The Northern Territories Dispute and Russo-Japanese Relations」で、大平正芳記念賞を受賞した。カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授 歴史学著書論文多数。
六角 鬼丈
武蔵丘高等学校 12回生
建築学の第一人者。1979年「雑創の森学園」の設計で第4回吉田五十八賞を、1991年「東京武道館」の設計で日本建築学会賞を受賞した。東京芸術大学教授 著書「新鬼流八道」など

神田 基
武蔵丘高等学校 17回生
ノート型パソコン、携帯電話などポータブル機器に欠かせない電源となり、充電可能な「ニッケル水素2次電池」の開発で、大河内賞を受賞した。東芝 研究開発センター。

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手塚記念賞について

 母校創立60周年を記念して、日本一賞と並び、「自分の個性を発揮し、それぞれの分野における秀でた存在や業績を広く認められる方」を表彰する「手塚記念賞」を同窓会として創設した。
 第1回は、次の方々(敬称略)に贈られる。

第1回手塚記念賞受賞者の方々

土屋 泰助
武蔵中学校 1回生
昭和21年、食料難の日本、その対応のために「緊急開拓」に応募し、それ以来猫の目のように変わる農政の中で50年間専業農家として農業一筋に打ち込まれてきた。
野々山 忠到
武蔵丘高等学校 4回生
高校生の時ユネスコ活動をし、大学卒業後、外交官として各所を歴任し、湾岸戦争時にはヨルダン大使を勤める等、国際平和に貢献された。日米外国国際平和に貢献した実績でマイク・マンスフィールド賞受賞
岡村 昌夫
武蔵丘高等学校 4回生
母校のほか都立高校教員を歴任し、その間に日本の折り紙に興味を持ち、その普及に努められた。「新撰人物 折紙手本忠臣蔵十一段」すべてを折り紙で作り上げたり、日本の折り紙の歴史研究の第一人者である。

玉利 斉
武蔵丘高等学校 4回生
高校時代より機械体操を行い、昭和30年自らボディビル連盟を設立、昭和50年には現財団法人 日本健康スポーツ連盟をつくり国民体力向上に努める等スポーツ一筋に活躍されてきた。

菊田 守
武蔵丘高等学校 6回生
大学在学中から現代詩を書き始め、会社在職中も詩を書き続け、特に小さな生き物についてその生命の貴さ、切なさを詩の言葉で見つめ続けてこられた。「妙正寺」「かなかな」等、多くの詩集がある。平成6年 豊橋市の第1回丸山賞受賞

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同窓会功労賞について

 母校創立60周年記念事業実施にあたり、「会の維持・発展に多大な貢献をされた方」を表彰する「同窓会功労賞」を同窓会として創設した。
 第1回は、次の方々(敬称略)に贈られる。

第1回同窓会功労賞受賞者の方々

岡村 昌夫
昭和38年から昭和59年まで本校教諭(国語)
武蔵丘高等学校 4回生
同窓会顧問及び事務局担当として、昭和53年頃よりの同窓会活動低迷期によく本会を支え、同窓会の存続と活動活性化のため尽力された。
山本 収太郎
昭和51年から昭和62年まで本校教諭(保健体育)
武蔵丘高等学校 24回生
同窓会顧問及び事務局担当として、岡村先生の後を継ぎ活動低迷期に新聞発行、同窓会名簿の作成を行い、同窓会活動活性化のため尽力された。
大木 紀史
武蔵丘高等学校 13回生
同窓会会長(昭和49年から昭和58年まで)ならびに会長代行(昭和59年)として同窓会活動が衰退した苦難の時期に岡村、山本先生と連携をとりつつ会の存続と活性化に尽力し、創立45周年記念事業以降の同窓会再建、発展への支えとなった
尾本 四郎
昭和58年から平成5年まで本校事務長
本校事務長として創立45周年ならびに50周年記念事業にたずさわり、本校と同窓会との橋渡し役として活躍されると共に、同窓会顧問として会の組織づくり、専任事務局構築等に多大な貢献をされた。

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